246)新しいカテゴリー「宛名のない手紙」 [宛名のない手紙]

シニフィアン研究所(埼玉県上尾市&和歌山市)の迎意 愛(むかい あい)です。
精神分析という対話療法で心身の悩み相談をしています。
           
今日は、新しいカテゴリー「宛名のない手紙」の紹介をしたいと思います。
               
ネット社会になった現在、「手紙」は一部の伝達手段になってしまいました。
そんな中で、あえて「宛名のない手紙」というカテゴリーを追加しました。
このカテゴリーでは、
私個人の体験を基に、
現在見聞きするニュースを通して
さまざまな人間の心模様と、
その叫びとでもいえる赤裸々な生の声を書いてみたいと思います。

思春期には、様々な葛藤、悩み、苦しみを誰にも言えずに胸の内に仕舞い込んでいる。
時には、親友と呼べる誰かに話したりもするけれど、
深い胸の内は、心に秘めている。
そんな想いがある閾値に達すると
外に向かって吐き出さずにはいられなくなってしまう。
それが、例えば「いじめ」「自殺」「非行」「不登校」「引きこもり」ではないでしょうか。
今も昔も、大人への階段を上っていく過程で
その若いエネルギーをどのように発散し、活用するかが問われます。
そして、一歩間違えればとんでもない問題へと発展していきます。
そのことは、時代が違っても同じではないでしょうか。

≪みんな、悩んで大きくなった≫のです。

遠い昔、交換日記というものが流行った時代がありました。
気の合った友だち二人、もしくは数人(異性間でもあった)で
一冊のノートに自分の想いを書いて交換し合うもの。
それとは別に、
自分だけのノートを作り、
そこに詩やエッセー、小説、思いつきなどをしたためたもの。
それらは、誰かに読まれるために書かれたものではなく、
日の目を見ることもなく、大半は忘れ去られる運命にあるものです。
何かの機会に発見されて、当時を懐かしみ、
「この頃は、若かったなあ~」
と振り返る程度でしょう。

出すあてのない、自分の赤裸々な想いを綴った手紙のようなもの。
それでいて、間違いなく自分が一所懸命に生きた証のようなもの。
そんなノートをひっくるめて「宛名のない手紙」と名づけてみました。

その性質上、
私個人の赤裸々な告白となるかもしれません。
物心ついた時から「これでいいのだろうか?」と問いかけ
悩み、自分の生きる意味を問いかけ、死に憧れたこともあった。
遺書まで書いたのに、死ねずにまだしぶとく生きている。
そして精神分析家(インテグレータ)となった今も生きる意味を問い続けている。
そして、

人間になりたい
人間でありたい
人間として死にたい

そんな叫びを聴いている日々です。
それらを自分の体験に置き換えて伝えたいと思っています。

ご意見、ご感想はこちらまでお願いします。http://signifiant-lab.com/「思春期の悩み」http://signifiant-lab.com/eatingdisorder/「不登校の子どもの母より」http://signifiant-lab.com/escape/もあわせてご覧下さい。


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