255)子どもが親に殺意を抱くとき [事件・事故・ニュース]

シニフィアン研究所(埼玉県上尾市&和歌山県和歌山市)の迎意 愛(むかい あい)です。
精神分析という対話療法で心身の悩み相談をしています。
           
今日は、「子どもが親に殺意を抱くとき」について書きたいと思います。



母親の首を絞め殺害 18歳アルバイト少年逮捕「しつけが嫌だった」
産経新聞 8月1日(水)8時54分配信http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20120801-00000536-san-soci


事件の詳細は不明ですが、母親を殺す子どもの心中はどうなっているのでしょう?

母親は子どもからすれば、最初の愛の対象だと言われています。
母親にとっても、わが子は(古い言い方かもしれませんが)、
お腹を痛めて産んだ子どもであり、可愛い愛の対象のはずです。
それが、どうしてこのような殺人にまで至るのでしょうか?

精神分析的視点から考えてみたいと思います。
「しつけ」と称して、子どもを自分の思うとおりに操ろうとする親の姿が浮かんできます。
「泣き止まないから」
「言うことを聞かないから」
という理由で、乳幼児を殺害した事件も多々ありました。
親の側からみれば「しつけ」でも
子どもの側からみれば「いじめや虐待」となる場合があります。

子どもは親と比べて、圧倒的な弱者の立場にあることが、問題を見えなくさせていると言われます。
親(大人)の世話を受けなければ、生きていけない存在であること
それは、家庭内(一種の閉鎖空間)で受けるのが基本であること
これら2つのことがあるために
より積算されていくのでしょう。
それらがある限界にまで達したとき、
それまでの積算された「親への怒り」が一気に放出されることになります。

ある少年が言いました。
「いつか、仕返しをしてやる、思い知らせてやる、と心に決めていました。」と。
その少年が、母親に暴力を振るい始めたのは
母の身長を1センチでも超えた時からでした。
それまでは、自分が悪いんだと言い聞かせ、
我慢に我慢を重ねてきたけれど、
やっぱり、どう考えても自分は悪くない。
そう思ったと言いました。
その時は
それまで育ててもらったとか、優しくされた一片の記憶などは消えうせていたそうです。
それは「仕返し」です。

事件の18歳少年は
「しつけが嫌だった」と母親の首を絞めています。
果たして「しつけ」だったのでしょうか?
少なくとも、適切な「しつけ」だったなら、殺すまでには至らなかったのではないでしょうか?
人は経験から学びます。
愛されることで、愛することを
憎まれることで、憎むことを学ぶのです。
首を絞めて殺害したという事実から考えると
そこから見えてくるのは
「窒息と抹殺」

少年はこの二つを学んでいたということになります。
「あの母親のしつけから逃れる方法は、永遠にこの世から抹殺するしかない。
そして、その手段は、窒息させること」
と考えたのではないでしょうか。
つまり、
少年は母からの「しつけ」を窒息するようなものと受け止めていた。
そのように考えられないでしょうか?

これら、青少年の事件を見聞きするたびに、
どの家庭でもありうることではないかと感じます。
自分の「つもり」と、受け取る側の「つもり」の相違はないでしょうか?
もしあるとするなら、その相違に気付いてますか?
このような問いかけを持ってみることも必要だと思うのです。

家族や友だちなど、何か気になることがあれば、
シニフィアン研究所までご連絡ください。
お手伝いできることがあります。http://signifiant-lab.com/思春期の子どもさんをお持ちの方はこちらへhttp://signifiant-lab.com/eatingdisorder/小さい子どもさんをお持ちの方はこちらへhttp://signifiant-lab.com/raise/どうそ。


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