引きこもることの大切さ [不登校・引きこもり]

「引きこもる」というと、
出ていかなければいけないのに出て行かない(出て行けない)状態を指して使われるが
ここでは
「引きこもる」ということ自体の必要性と大切さを述べてみたい

何らかの形で社会との関わりを持つことは、生きていく上で必要なことである
でないと、生きること自体が困難になる可能性が大きくなる
ゆえに、社会との何らかの関わりを持つことが要請される
このことは誰しも理解しているはずである

にもかかわらす、不登校やニートに代表される「引きこもり」をしている人たちは
知らなかったというのだろうか?
そんなことは考えにくい
では一体何を叫んでいるのだろうか?

一つは「自分の人生はこれでいいのだろうか?」という問いかけを持ち
    「じっくり自分と向き合いたい」
    「自分の人生を主体的に生きたい」
    「誰かの言いなりに生きるのは嫌だ」と叫んでいる
あるいは「育てなおしをして欲しい」
      「お母さんのお腹の中からやり直したい」
と、行動や身体を使って訴えているのではないか?と考えてみる

この観点から言うと
引きこもることは、「自己認識」「アイデンティティー」への問いかけだと言えないだろうか?

自分自身への問いかけと、それへの自分なりの答えを模索しつつ
それを基に自分の目指す理想像(自我理想)を描くことで
社会との接点を見出す
その事のたゆまない軌跡がその人の人生だと言えるだろう

この自我理想を描けなかったり、
それが他者の理想だったと気付いたなら、人は動けなくなるだろう
問いかけず、気付かずにいられたら
また、問いかけても「こんなもんだ」と早々に結論付けられたなら
きっと歩き続けられるだろう
これらのことは
すべての人が一度は問いかけたに違いない
そして、その時は、大なり小なり
その人なりの「引きこもり」の時と空間を持っただろう

引きこもることは
自分への問いかけに耳を傾け、真摯に生きたいと願い
早々に結論付けられなかった結果
社会との関わり方を決められない状態だといえると思う

これらの意味において
「引きこもり」は必要だし、大切な事象だと思う
そして、その時が到来したなら
満足するまで「引きこもる」場所と時間を確保できることが必須であろう

シニフィアン研究所のHPはこちら  http://signifiant-lab.com/
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