329)母子分離=母が言語になるとき [家族]

シニフィアン研究所(埼玉県上尾市&和歌山県和歌山市)の迎意 愛(むかい あい)です。
精神分析という対話療法で自己(無意識)を知り、必要に応じて書き換えていきます。
そうすれば、不安は安心に変わり、生きる希望が湧いてくることでしょう。

今日は、「母子分離=母が言語になるとき」について書きたいと思います。

母はすべての人にとって、最初の愛着の対象だといわれています。
それは、自分という存在をこの世に生み出してくれたその人だからです。
そして、乳幼児の時代は、
誰かに適切な世話をしてもらわないと、片時も生きられない存在だからです。
だからこそ、生み出してくれたその人に常に側に居て欲しい、
自分だけの人であってほしい、
独り占めしたいと切望するのでしょう。

しかし、社会参入することは、
その愛着の対象との別れを受け入れることでもあります。
心身ともに自律するためには、必須のことです。
つまり、子ども時代を終わらせ、大人の世界へと参加することを期待されています。
そのことを『母子分離』と呼びます。
これは、精神的、空間的、金銭的に自律することを指します。
現在、その猶予期間は約20年と言えるでしょう。

身体的に分離してから20年をかけて、精神的に分離することを求められているということです。
精神的に母子分離することを考えたいと思います。
様々な切り口がありますが、
ここでは、母が言語になることだと言いたいと思います。

どういうことかというと、
生身の自らの母が、だれもが自由に使う『母』という言語になることを意味します。
つまり
・思う通りにさせてくれなかった母
・言うことを聞いてくれなかった母
・放任の母
・支配した母
・頑固な母
・わがままな母
・他の兄弟姉妹に獲られた母
・溺愛した母
・いつも不在だった母
などなどの母から
・『ただの母』
・『どこにでもいるボケ老人』
・『ただの人』になることです。

ある人が淡々と言い放ちました。
<私を支配し続けた母でしたが、今ではどこにでも居るボケ老人になりました>と。
そのように語るまで15年近くの時間を必要としたとも語りました。
何の感情も交えず、湧き上がることもなく、
やっと<ただの人になりました>と言えるようになったと語った人もいます。

彼らはそれまで、多くの不平不満を語り続けました。
また、不平不満すら語るまでに相当な時間を要した人もいます。
ただ、共通していることは
長く抱えてきた母への不平不満を語り続けた結果、
『母』という誰でも使うただの言語となったということです。
<母を尊敬している>と語る人もいます。
それでも、そうではない部分を語り始めた時、何かが変わったともいいました。
とまれ、
「母」は誰にとっても一度は必ず意識して語る必要のある存在なのです。
それが、色々な意味において《偉大な存在》と言われるゆえんなのでしょう。


あなたの「母」はあなたにとってどのような人でしょうか?
母を語るとき、どのような感情が伴うでしょうか?
あるいは、何らの感情も湧き上がってこないでしょうか?
母なくしてこの世に生み出されることはなかった。
これはまぎれもない事実です。
だからこそ「母」は母港であり、故郷であり、世界でただ一人の特別な人。

母について語ってみませんか。
自分にとって母とはどのような人なのか知りたくなったら
精神分析は役にたつでしょう。
興味を持たれた方はこちらを参照ください。
「自己を知る」講座もあります。
シニフィアン研究所http://signifiant-lab.com/
月刊精神分析2013年2月号『グリム童話・白雪姫』でも取り上げられています。
詳しくはこちらを参照ください。http://agency-inc.com/grimm/
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