256)自傷、自虐行為の向こうにあるもの=罪責感 [家族]

シニフィアン研究所(埼玉県上尾市&和歌山県和歌山市)の迎意 愛(むかい あい)です。
精神分析という対話療法で心身の悩み相談をしています。
           
今日は、「罪責感」について書きたいと思います。

罪責感とは、精神分析では
監視する自我とみられる自我の間に生まれる緊張感のことを言います。
この緊張感は、親から禁止され、それを取り入れたところから生まれるとされています。
ちょっと難しいかもしれませんが、
「自責の念」とか、「罪意識」とか言われるものと考えていただけばよいと思います。

罪責感がないと法やルールを無視し、社会の中で犯罪を犯し、
罪責感が強すぎると、うつや自傷・自虐行為、自殺へと自分を追い込んでしまう可能性があります。
一方で罪責感は、道徳心や自制心などを培う基にもなると言われます。
適度な罪責感をもっていることは、
社会で生活する上で、必要なアイテムだと言えるでしょう。

例えば、
災害や事件、事故に遭遇した時
「何で自分だけ助かったのか」
「どうして何もできなかったのか」
「自分が身代わりになればよかった」
などと、自分を責めることでしょう。

助けられなかった自分、何もできなかった自分を責める気持ちです。
その自責の念にさいなまれて、たまらなくなる。
周りの人から「あなたのせいじゃないよ、仕方がなかったんだ」と言われても、
自分が自分を許せないのです。
これは、人として当然な反応かもしれません。
ところが、中には
この自責の念から開放されず、一歩も進めない人がいます。
「時(計)が止まってしまった」
と語ります。

また
「幸せになろうとすると、なぜか不幸がやってくる」
「私は、幸せになってはいけないんです」
などと語る人がいます。
この人たちも何らかの「罪責感」を持っている可能性があります。

これらの場合は、
なぜそんなにも自分を許せないのか?
なぜ時が止まったままなのか?
どのような「罪責感」を持っているのか?
それを知る必要があるでしょう。
それを知れば、その罪責感から開放され、
適切に書き換えることが可能です。

それには、精神分析が必要となるでしょう。
必要な時間をかけて、
悲しい(不幸な)自分と向き合うことで
悲しみ(不幸)は悲しい(不幸な)出来事として
その人の心の中で整理されることでしょう。
そうすれば、
ゆっくり前を向いて歩み始められるのです。

シニフィアン研究所では、精神分析という対話療法を中心に
自分と向き合うお手伝いをしています。
各種相談会、勉強会、養成講座も開催しています。
こちらをどうぞhttp://signifiant-lab.com/
7日(火)から9日(木)までは和歌山、大阪を中心に関西へ出張します。
詳しくはスケジュールをご覧下さい。http://signifiant-lab.com/#161

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233)飽きっぽい、長続きしないのはなぜ? [家族]

シニフィアン研究所(埼玉県上尾市)の迎意 愛(むかい あい)です。
精神分析という対話療法で心身の悩み相談をしています。

今日は「飽きっぽい・長続きしない」について書きたいと思います。

6月29日付のヤフーニュースで見つけた記事です。
タイトルは「なぜ、日本の研究者は人型ロボットを作るのか」
その中で、早稲田大学の高西淳夫教授が答えていた。
「人型ロボット研究の最大の問題、あるいは宿命というのは、『人という明確な目標がある』ということです。(中略)ロボットに人のまねをさせようとすればするほど、永遠にゴールに行きつけないと痛感します。そのために、やめられなくなってしまいます。」
http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20120629-00000302-nipponcom-pol (より引用)

「永遠にゴールに行きつけない」「そのために、やめられなくなってしまいます」
これらの言葉を中心に、考えてみたいと思います。
少し変形して、
「永遠に手に入らないから、やめられない(興味を持ち続ける)」としてみましょう。
とすると、逆にいうと
「すぐに手に入れば、やめてしまう(興味を持たなくなる)」となります。
つまり
人は、簡単に手に入るものは、すぐにやめてしまいますが、
永遠に手に入らないものは、やめられない(興味を持ち続ける)
と言えることになります。

少し古い表現になりますが、
「高嶺の花」という言葉があります。
ご存知でしょうか?
≪遠くから見るだけで、手に入れることのできないもの、あこがれるだけで、自分にはほど遠いもののたとえ≫ 
のことです。
今風に言うと「追っかけ」が近いでしょうか。
「大好き」と言いますが、
「永遠に手に入らない理想の姿」と思っているのではないでしょうか?

ここから
すぐにやめてしまう人、飽きっぽい人は
「永遠に手に入らないものを持っていない」ということになるのではないでしょうか?
長続きしないのは、性格ではなくて
「やめられない」と思えるものがないからではないでしょうか?
言葉を変えると
「興味をもつものがない」→「手に入らないものがない」→「手に入れたいものがない」

では、なぜ手に入れたいものがないのでしょうか?
次回は、このことについて考えてみたいと思います。

シニフィアン研究所では、このような方の相談もしています。
こちらを参照ください。http://signifiant-lab.com/
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222)父の日 [家族]

研究所(埼玉県上尾市)の迎意 愛(むかい あい)です。
精神分析で心身の悩み相談をしています。

明日は「父の日」です。
そこで、「父」とはどのような存在か?
父の役割とは何か?
父とは言葉(言語)としての存在だということを書きたいと思います。

「父の日」を検索してみました。

1910年にアメリカ・ワシントン州の『J.B.ドット夫人』が教会の牧師にお願いして、亡き父の誕生月6月に父の日礼拝をしてもらったことが切っ掛け。 当時すでに母の日が始まっていたため、彼女は父の日もあるべきだと考え「母の日のように父に感謝する日を」と牧師協会へ嘆願して始まったといわれています。
この「父に感謝する日」はアメリカ中に広がり、1916年に全国的に認知されるようになりました。1926年には「ナショナル ファーザーズ・デイ コミッテ ィ」がニューヨークで結成され、1972年にアメリカの国民の休日となりました。
日本では1950年頃から広まり始め、一般的な行事となったのは1980年代です。
(引用「きのとや」http://www.kinotoya.com/beans/beans_01.html

初めて知りました。
なるほど、、、

父の存在を強く意識する機会は、母と比べて少ない人が多いのではないでしょうか?
それだけ、身近に感じる機会が少ないのでしょう。
自営業など、比較的共有する時間が多い場合は別として、
やはり身の回りの世話をしてくれる「母」の方が
圧倒的に接触する時間が多いのも、その一因でしょう。
ということは
父を知る機会は非常に少ないというのが、一般的でしょう。

ある人が言いました。
「父親の印象と云えば、休みの日にゴロゴロして、テレビを見て居眠りしてる姿しかない」
ある人は
「休みの日は、いつも一緒に遊んでくれたり、どこかへ連れて行ってくれた」
これらは、現実の父を通してのイメージです。
これも父を知る上で、大切なことでしょう。
では、
仕事の関係で、父とのかかわりの時間が少ない人は
「いつも居なかった」以外、
父親のイメージはないのでしょうか?
多分、そんなことはないでしょう。
ここが大切だと言いたいところなのです。
それは
「母が語る父」です。
子どもの年齢が低ければ低いほど、その影響は顕著なようです。
現実の父がどうであるか、よりも
大好きな母がどのように語ったか?
それが、子どもの心に「父のイメージ」を創り上げるようです。

いかがでしょうか?
お父さんのイメージを浮かべてみてください。
そのイメージは何が基になっていますか?

父の存在、父のイメージは
母や身近な人が父について語った言葉ではありませんか?
時には父自身が語った言葉ではないでしょうか?
父は母とは違うようです。
母は現実に何をしてくれたか?が印象深く
父は何を語ったか?どのように語られたか?が印象深いと言えないでしょうか?
ここから
父とは「語る父」ということがクローズアップされます。

現実に何をしたかよりも、何を語ったか?
父は子どもにとって、最初に出会う社会(=法・秩序)の代表だといわれます。
ここからは次回に書いていくことにしましょう。
興味をもたれた方は
シニフィアン研究所のサブサイト「オールOK子育て法」を参照ください。
参考ブログもどうぞ
父の機能とは?http://blog.goo.ne.jp/kuutyann77/d/20110906
父の威厳―「父」のポストが父を作るhttp://blog.goo.ne.jp/kuutyann77/m/201110
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215)愛着 [家族]

シニフィアン研究所(埼玉県上尾市)の迎意 愛(むかい あい)です。
精神分析で心身の病・悩み相談をしています。

今日のテーマは「愛着」です。
「愛着」という言葉は、その人と環境をむすびつけるすべての力を指します。
没入する、関わる、必要とする、はまり込む、求める、根付くということです。
それを気にし、憎み、手に入れたいと思い、興味・当惑・恐怖を覚える程度まで愛着している。
また「愛着」は
依存心、性的関心、敵意、野心、愛情、嫉妬心などによって、より強まります。
一言でいえば、極度の関心を持っている(このブログの210 関心を持つを参照ください)ということです。

愛着できるのは、そのものに深く関わることができることです。
言葉を変えると、そのものに対して、ありのままの自分をさらけ出せることです。
素直な自分でいられることです。
心を許せることです。
そのものに対しては、時間もお金もエネルギーも惜しまない。
時には、自分の全生命をも賭けることもあるでしょう。
その対象は、人、動物、植物、ものなどさまざまです。

そもそも「愛着」はどのようにして持つのでしょうか?
ある人(仮名 田中さん)の話をしましょう。

田中さんはある日、一匹の野良犬に出会います。
その犬が、田中さんの家まで付いてきたので、飼うことにしました。
最初は、仕方なくでしたが、毎日餌をやったり、散歩に連れて行ったりするうちに
だんだん可愛いと思うようになったと言います。
そのうちに、その犬との時間が自分の生活の一部になり、
次第に、なくてはならない存在になったということです。

この田中さんのように、
最初は、どうってことのないものであっても、
そのものに関わる時間と情の交流が増えるにつれ
だんだん、無くてはならない存在になっていく。
このように、何らかの交流をすることで、歴史とでもいえるものが積み重なっていく。
それが、自分の一部を占めると思えるようになった時、
そのものに対して「愛着」を感じると言えるのではないでしょうか?
どれだけ、そのものと深く関わったか?
それは
どれだけ、時間を共有したか?
どれだけ、情の交流をじたか?
どれだけ、歴史を創り上げてきたか?
例えば、その代表物は「形見」でしょう。

愛着を感じる人はいますか?
愛着を感じるものがありますか?

次回は「愛―エロス的交流」について書きたいと思います。

今夜から7日夜まで「関西出張」します。
8日は、新宿、大宮に居ます。
関西、関東方面の方は、携帯に語連絡ください。
詳しくはこちらを参照ください。


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長男・長女の悲哀 [家族]

最初に生まれた子どもは「惣領」と呼ばれる
長男、もしくは長女となる

最初に生まれた子どもは
たいていの場合、【母の膝(ロイヤルシート)】と【おっぱい】を独占できる
それが「当たり前」

ところが
その「当たり前」が当たり前でなくなる日がやって来る
弟か妹が生まれたその日だ
そこから
『嫉妬』『怒り』『恨み』『悲しみ』『寂しさ』が生まれてくる
そして
自分一人に向けられていた母の眼差しや周囲の関心も奪われる
何よりも嫉妬と怒りを焚きつけられるのは
あの【ロイヤルシート】と【おっぱい】を占領されたのを目撃した時だ
それこそ自分だけのものだったはず
なのに
今は奪われてしまっている

近寄ろうものなら
「お兄ちゃんでしょう」
「お姉ちゃんでしょう」
と、拒否される

まさしく剥奪体験だ
そして叫ぶ
「弟(妹)なんかいらない!」
「死んでしまえ!」
「お兄(姉)ちゃんなんかになりたくなかった」etc
ここから「いじめ」の種が蒔かれるのかもしれない
その種が育つかどうかは
周りの対応によるだろう

【ロイヤルシート】を【おっぱい】を剥奪された
「怒り」と「悲しみ」をどれだけ理解してもらえたか?
それをどのように防衛したか?
言語に置き換えられたかどうか?

シニフィアン研究所(埼玉県上尾市)HP
http://signifiant-lab.com/精神分析的子育て法も参照ください
http://signifiant-lab.com/raise/

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178)不平不満は受身の気持ちから [家族]

不平不満の気持ちはどこからやってくるのか?
それは
相手に求める気持ちがあるから
相手に「こうして欲しい」「ああして欲しい」
と求める気持ちがあるから
それに反して
自分の思っているようには返ってこない場合
心の底からムクムクと顔を持ち上げてくる
そして
怒りや不平不満となってこみ上げてくるのだ

「私がこんなにしているのに、何であなたは○○してくれないの!」
「私がどんなにアナタのことを思っているか分からないの!」などなど

自分が相手のことを思っているのに
相手はソレに対して何も答えてくれない、してくれない
分かってくれない、動いてくれない、与えてくくれない・・・・・

これらの根底には
「~ねばならない」
「~すべき」
が潜んでいる

私はしたいからしている。言いたいから言っている。
それに対して、
あなたがどのように思うか、するかはあなたが決めることだ。
私は私、あなたはあなた。
違っていて当たり前

このような観点を持っていれば
「あなたと私の考えが違う」
ということになり、不平不満や怒りは湧いてこないだろう

人は言葉を発するとき
相手に対して
「このようにしてもらいたい」
「このように思ってもらいたい」と期待している
もらうのが当たり前になってしまっているのではないだろうか?
【してもらうのが当たり前】
そのような受身の気持ちがある
だから
その通りにしてもらえなかった時
自分の期待が裏切られたように感じて
自己愛が傷ついたかのように感じてしまう
だから
怒り、恨み、妬みなどへと広がってゆく

自分勝手な受身の気持ちが
自分の心をいらだたせ
自分の心を傷つけ
相手のせいにしてしまう

実は
不平不満は自分の受身の心から出たものだ
と言えるだろう

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テレポーテーションともう一人の私 [家族]

努力して過去の自分から脱皮したつもりだった
しかし
ある「スイッチ」が入った瞬間
過去の自分にテレポーテーションしてしまった
そんなことはありませんか?

例えば
「子どもに対して、怒らずに、冷静に話をしよう」
と決めたとする
順調に冷静に話をしていたある時
子どもがポツリと
「うるさいなあ^^」
と言った
その瞬間、パチン!とどこかで音がした
それから後のことは覚えていない
気がついたら、子どもが倒れて泣いていた
無意識に、叩いていたのだった
冷静になって考えてみると
そこまでする必要などなかった
どうして、そんなことをしたのだろう?!と自責の念に駆られたと言う

そんな話を聞いた
頭では分かっているつもりだ
そして、努力して積み上げてきたのに
ある一言「うるさいなあ」が、
その人を激情に駆り立て、暴力へと導いたのだった
一瞬にして
過去のある時に「テレポーテーション」したのだ

たった一言
それが、その人をテレポーテーションさせる
言語はそのような力を持っている
それほどまでに
人は言語に隷属している
逆に言えば
言語一つで、人は変身するし、
テレポーテーションすると言えるだろう

あなたはどのような「言語」に反応しますか?
どのような言葉で変身してしまいますか?
その「言語」はあなたにとって
過去のある一点へと導いてくれるでしょう
そこであなたは
もう一人の自分に邂逅するのです

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白血病からの離脱ー運命を書き換える [家族]

まず始めに、
この記事は「白血病」と診断されたのではなく
精神分析によって
【自分の精神が「白血病」の方向に向いていたことに気付いた】
その紹介です。

以下はその人の語らいです

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

幼少期より「母」との関係が【支配と服従】であった
それは、衣食住はもとより、将来に関してまで決められていた
それゆえ
その人のテーマは
『いかに母の支配を逃れるか』
と同時に
『どうすれば母が自分を諦めるか』でもあった
拒食、過食、不登校、引きこもり、留年、非行etc
それとPTSD
名前を聞くと体がフリーズして動けなくなる

しかし、
その母は決して諦めるどころか
以前にも増して、その支配は強烈なものとなってゆく
ついに抵抗を諦め、ある種の平凡な人生を送る

転機がやってきたのは
『精神分析との出会い』であった
自己と向き合うことで
ついに気付いたことがある
【母性剥奪】
与えられるべき人から、逆に、全てを剥がされ、奪われた人生であった
そこから描き続けたイメージは
≪骨の髄まで母の毒に侵されている。骨髄から入れ替えなければ自分の人生は始まらない≫
であった

この時
【私は白血病になって骨髄を移植して生まれ変わりたい】
それを目指していたことに気付いたのだった

私は因幡の白兎でした。
毛を奪われ、皮膚を剥がされ、海水に漬けられ血の涙をながしていました。
でも、今気付きました。
自分の骨髄で新しい血を創り出し、全身の血液をすべて入れ替えれば良いのだと!!
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・

人は、自らの命を賭けてまでも、自らの言語に従って着実に実現しようとするものである
その人は、精神分析と出会って言語化することで
身体を使って実現するのではなく、
自分が書き込んだ言語(運命)を書き換えたのだった
これからは
自らの人生を自分の意志で書き、実現してゆくことでしょう!!


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「真面目」は気ままにできなかったことの補償 [家族]

真面目であることは、何事においても大切で必要なこと
言うまでもないことです
ただ、それも過ぎると支障が出ることがあるし
真面目だけでは、人としての幅や面白さに欠けるでしょう

もう少し「遊び心」があってもいいのに
面白くないよね
堅いよ
融通を利かせることも必要だ
真面目すぎて、一緒に居ると疲れる
などなど

真面目すぎる人は
かたくなに、その枠を守っている、
決してその枠を壊さない
そのように感じる時もあります
なぜ、それほどまでに守るのでしょう?
壊さないのでしょうか?
真面目の仮面の裏には、どのような素顔があるのでしょう?

真面目の反対は?と問いかけてみましょう
不真面目?
いいかげん?
誠実でないこと?
我がまま、気まま?

このように生きられなかった
そのような生き方を選択できなかった=何らかの事情でその機会を奪われた
それを表現しないための姿だと言えないでしょうか?
本来は、気ままに生きたい自分が居た
それができなかった自分にフタをしている姿だと考えられないでしょうか?

一度でも、気ままな自分が出てしまったら
コントルールできないとの恐れから
逆に「真面目」であることでフタをしている
ある種の償いの姿だと言えるかもしれません

「気ままに生きる自分」と「真面目な自分」
このバランスをとる方法を身に付ければ
きっと、もっと
楽しく生きられるでしょう

興味をもたれた方は
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マイナス思考からプラス思考へ [家族]

「どうしてこうなるんだろう?」
「どこが悪かったのだろう?」
「なぜ悪いことばかり起こるのだろう?」
「なぜうまくいかないのだろう?」

このように考えていませんか?
これって、すべてマイナス思考ですよね

自分にとって都合の悪いことは、たぶん誰にも起きることでしょう
運が悪いと考えたら、きっと運が悪いのでしょう
もし、そのように考えて
うまく行くのなら、そのように考えたら良いでしょう
良い事ばかりになったら、それで良いでしょう

反対に
どのように悪い原因、失敗の原因を考えても好転しなかったなら
このように思考パターンを変えてみませんか?
つまり
「プラス思考」に変えるのです
その為には、
1)「マイナス思考」になっている自分に気付くこと
  どうして?なぜ? と問いかけたとき、
  無意識のうちに悪い所ばかりを捜している
  自分が悪いのを前提に考えている
 その結果
  使う言葉が「否定語」ばかりになってしまい
  考えれば考えるほど、悪いことマイナスのことしか思いつかない
  『だから自分はダメなんだ』
  落ち着く先はいつもココになる
 そして
  この堂々巡りとなる
  
2)「プラス思考」の仕方を知ること
  どこを変えればうまくいったのか?
  何を工夫すれば良いだろうか?
  うまくいった時(人)とどこが違うのだろう?
  
このように「否定語」を使わないフレーズにして問いかけること
その結果
良いアイデアやひらめきが生まれるキッカケとなるでしょう

では、どうしてこのような「否定語」を使ってしまうのでしょう?
それは簡単である
「否定語」しか知らなかった
「否定語」しか言われてこなかったから
「否定語」の代表格は「ダメ」である

「肯定語」に書き換えよう
「肯定語」の代表格は「OK(良いよ)」です

まずは
自分で自分に言おう!
【私はOKだ】
【今はこれで良い】

これが自然に言えたら
間違いなく【プラス思考】になり
すべてはうまくいくことでしょう!!

プラス思考に書き換えませんか?
こちらも参照ください
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