253)生きる意味を創り出す=私は、あなたのために生まれてきた [生き方]

シニフィアン研究所(埼玉県上尾市&和歌山県和歌山市)の迎意 愛(むかい あい)です。
精神分析という対話療法で心身の悩み相談をしています。
           
今日は、「あなたのために生まれてきた」について書きたいと思います。

「何のために生まれてきたのか?」→「私は、この人のために生まれてきた」
このように断言し、まったくブレない人に会ったことがあります。
ここまで断言でき、それを実行し続けられるのはなぜなのだろうか?
その理由を知りたいと思いました。
彼女を知ってゆく過程で、その理由が理解でき、学びました。

人は、自分の姿を映し出せる人に出会った時、それを、自分の生きる意味として書き換えられる。

当時、その人(50代女性)が語った言葉を紹介します。
≪出会った時に、「私は、この人のために生まれてきたんだ」と思いました。
そして、今も、これからも、私はこの人のために生きていきます。≫

お互いが育った環境はまったく違ったようですが、
ただ一点、同じものがあると言いました。
それは
『親から見捨てられた存在だった』です。
詳細は避けますが、
共に親から忘れ去られ、必要とされなかったとのことでした。

その彼の姿に接した瞬間
彼女は「私はこの人のために生まれてきたんだ」と確信したと言いました。
それから心身両面において支えました。
まさしく、自分のすべてを投げ出し、彼のために捧げる献身そのものです。
言葉を変えて言うと
彼女は、彼の母に徹することを決意したのです。
ここが、彼女の素晴らしいところです。
単なる同情ではなく、
自らが求めていた
「母から世話されたい欲望」に気付き、「自らが母になり世話する欲望」へと書き換えたのです。
それが、自暴自棄になっていた彼女の、「生きる意味」となったのです。

そして、数十年後
彼は、彼女のその献身に感謝して、家をプレゼントしました。
彼は、彼女と出会って初めて「家庭」を作ったのです。
お互いがお互いの中に、自分を見出し
相手を喜ばせることで、自分も喜ぶ。
まさしく母子関係です。
もっと言うと、鏡の関係です。

このようにして、彼と彼女は互いに「生きる意味」を共有し合ったのです。
彼女の側からみれば、
親に見捨てられ、自暴自棄になっていた自らの姿を映す鏡(=彼)に出会ったことで、
生きる意味を創り出し、それまでの人生を書き換えた
と言えるでしょう。

いじめや、ストーカー、自殺、殺人など、
生きる意味を見出せず、暴力でしか表現することしか知らないニュースを見聞きし、
数十年昔に出会った彼女のことを思い出しました。
生きる意味を見出すには
自らの欲望を知ることから始まります。
それを知ったとき、初めて彼女のように生きる意味を持てるのだと思います。

精神分析は、自分の欲望を知る方法です。
興味をもたれた方はシニフィアン研究所までお問い合わせください。
http://signifiant-lab.com/

nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:恋愛・結婚

245)女性のエネルギー [生き方]

シニフィアン研究所(埼玉県上尾市&和歌山市)の迎意 愛(むかい あい)です。
精神分析という対話療法で心身の悩み相談をしています。

今日は、「女性のエネルギー」 について考えていることを書いてみます。

「元始、女性は太陽であった」とは、有名な平塚らいてうの自伝の題名です。
著者と内容について詳しくありませんが、
この「元始、女性は太陽であった」のフレーズだけを拝借して
思うところを書いてみたいと思います。
これはまったくの私見であり、
今感じていることを書き連ねたもの(妄想)となるであろうことをお断りしておきたいと思います。

女性は男性と比べて体格的にも筋力的にも差があり
数値的に小さいとされるのが一般的です。
ですから、圧倒的に男性の方がエネルギーも大きいと思いがちです。
ところが、時折
まったく逆ではないかと感じるのです。
仕事柄、男性よりも女性と接する機会が多く
様々な問題や悩みを聴き続けていると
「女性のエネルギー」の方が強大ではないかと感じるのです。
そして、そのことに先人は気付いていたのではないだろうか。
だからこそ、それを制御する様々な掟やルールを作って
コントルールし、気付かせないようにしたのでは?
(ひょっとすると気付いていないのは私だけかもしれません)

そのように考えを進めていくと
女性が子をなすのは、そのエネルギーの爆発を制御する
自然界というか、神というか、宇宙というか
そのようなものの摂理ではないのだろうかと思えてくるのです。
そして、女性が子をなす方法を取らなくなったとき
その強大で、膨大なエネルギーはどうなるのだろうか?

女性のそのエネルギーは
「太陽」や「マグマ」のエネルギーに匹敵するのではないだろうか?
そのようなエネルギーを女性は秘めている。
それをいち早く察知し、危険を感じたのは
女性ではなく、男性だった?
だからこそ、女性を家庭に留め、
そのエネルギーを子を産み、育てる方へと向けたのではないだろうか?
掟や法を作り、制御するのは
男性よりも女性のこのエネルギーを制御せんがためではなかったのでは?

この視点から見た時
太陽=マグマ=原子炉
このような式が浮かんできたのです。
専門的なことは全くの無知です。
原子炉の制御が効かなくなった時どうなるか?
それは東日本大震災を考えれば予測できるでしょう。
原子炉は、そのまま女性の姿ではないでしょうか?

もし、女性が子どもを産むことを敢えて選択しなかった時
そのエネルギーの放出方法を持たなかったら
そのエネルギーの制御方法を知らなかったら
どのようなことが起こるのだろう?
日本の女性が様々な分野で注目されるようになってきているのは
その一つの現れではないだろうか?
このような妄想が駆け巡ってしまいます。

私も含め、女性の皆さん
私たちの裡に秘められたエネルギーに気付いているでしょうか?
コントロールできているでしょうか?
気付くのが得策かどうか、
ブログでこのようなことを書くこともどうかさえ解りません。
ただ、
逆にもし、このようなエネルギーがあるのなら
女性こそそれに気付き、それを制御し、活用することこそが必要ではないでしょうか?

これらは、私の頭の中に浮かんできたことです。
ご意見などありましたら、こちらまでどうぞ
シニフィアン研究所のHP http://signifiant-lab.com/メール signifiant1@gmail.com


nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:blog

208)竹内洋岳さんが日本人初の8千メートル峰14座完全登頂を達成 [生き方]

シニフィアン研究所(埼玉県上尾市)の迎意 愛(むかい あい)です。
今日はニュースで知った以下の話題について書いてみます。

日本人初のヒマラヤ8000メートル峰14座完全制覇を目指していた登山家の竹内洋岳さん(41)が26日、最後の一座、ネパール北西部のダウラギリ(8167メートル)の登頂に成功した。竹内さんの健康状態は良好。1995年のマカルー(8463メートル)登頂から17年かけて、14座すべての頂上に足跡を残した。 14座完登。日本人で初めて竹内さんが達成した。26日午前0時45分(現地時間)に最終キャンプのC3(7400メートル付近)を出発。例年よりも雪が深い中、無酸素単独での約17時間ぶっ続けの登山で、午後5時45分、頂上に立った。強風が吹く頂上は、視界がきかない厳しい状況だったという。(中略)
竹内さんは、14座成功を区切りとしてスポーツとしての登山再興に尽くしていきたいと言う。「ここまでやって来られたのは登山が楽しいから。それを知ってもらうために私はまだ登り続けると思います」。14座を制覇し、竹内さんの挑戦はまだまだ続いていく。(2012年5月27日06時03分 スポーツ報知)

日本人としての偉業達成!
これまで挑戦した人もたくさんいた中、なかなか達成できなかったとのこと。
素晴らしいの一言に尽きますよね。

このニュースに刺激され、
「なぜ、人はこれほどまでに山に魅せられるのだろう?」
と、少し精神分析的観点から考えてみました。

母親に支配された人は、征服欲求を強くもつと言われます。
つまり、支配されたから今度は自分が支配したいとの欲求を持つことになるのです。
その行動化の一つが、山を征服するとなると考えられます。
征服したくても征服できなかった代償行為として、山の征服を目指し、登山が好きになる。
頂上に立った時、山を征服した満足と自然(=母)と一体になった恍惚感に浸ることができます。
その表現が「やっと達成した」「自然の懐に抱かれる」などです。
ところが、それは所詮「山」であって「母」ではないことに気付き、母への幻想としての征服であったと知ります。
そこで、さらなる征服を目指して次の山へと挑戦することになります。
これが飽くなき探究心といわれるものでしょう。

かつて、
「あなたはどうしてそこまでして山に登るのですか?」との質問に
ある有名な登山家(名前を忘れました)が「そこに山があるから」
と答えたのを思い出しました。
このように
冒険家は、そうした母への想いを意識に上らないように抑え込み(抑圧)、
その反対の行動をする方法(反動形成)を過剰に使う人といえるのではないでしょうか。
このような視点から見た時、
竹内洋岳さんはどうだったのだろう?知りたいと思えてきました。

なお、竹内洋岳さんの偉業に対して敬意を表すると共に、決してそれを誹謗中傷する意図は一切ないことを書き添えたいと思います。

シニフィアン研究所では精神発達論などの講座も開催しています。
興味をもたれた方はこちらのサイトを参照ください。
シニフィアン研究所http://signifiant-lab.com/#11

nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:ニュース

187)成長=否定と是認と再生 [生き方]

『あなたにはあるんですか?ないでしょう!』
『・・・・・』
認めたくはないけど、認めざるを得ない
『・・・ないです。。。』

くやしい!悔しい!
何度考えても、何度見ても
どんなに否認しようとしても『ない』
それは歴然としていた

認めるしかないこと
だけど認めたくない

どうして自分には無いのか?
どうして付けててくれなかったのか?
どうして?どうして?
「付ける」「付けない」を決定する誰かがいるのではないか?
エディプス期(3歳から5歳位)の女児の問いかけ
必然性への問いかけである

『あなたにはないでしょう』
と言語で否定されること
この時、その人の主体は抹殺されたと言う
そして
新たに、よみがえられるか?
生まれ変われるか?=語れるか?
それが大切なこと
ここで生まれ変われなければ、その人の主体は抹殺されたまま
『悔しい!』と思えるかどうか?
無いことを認められるかどうか?

認められたなら
新たに再生する(語る)ことができるだろうし
その人は、次への一歩が踏み出せる
躊躇があったなら
そこには否定と是認が不十分だと考えられる
しっかり抹殺するからこそ、是認できる
悔しさは一歩を踏み出すためのエネルゲンとなる

抹殺=否定=死
そして
よみがえる=是認=再生
この繰り返し
それが【成長】

シニフィアン研究所(埼玉県上尾市)のHPを参照ください
http://signifiant-lab.com/raise/

nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:育児

自己規定への急き立て [生き方]

人は常に「自己規定せよ!」と急き立てられている
「自己規定」というと、凄く大変なように感じるかもしれないが
例えば「選択する」という言葉に置き換えて考えてみると
なるほど!と思うのではないだろうか?

朝起きることから始まって
学校や会社に行く
塾や習い事に行く
すぐに家に帰る、寄り道する
テレビやゲームをする
お風呂に入る
寝るetc
挙げればキリがない

それほど、私たちは瞬時に選択を迫られている
選択するとは決めるということでもある
それほど、「自己規定せよ!」
と迫られていることになる
「好きor嫌い」「したいorしたくない」に関わらず
「選択」しないことには動けないし、先に進まない
だから
時には積極的に「するorしない」と決め
時には消極的に仕方なく「するorしない」と決めている

それだけではない
必ず「タイムリミット」がある
その他大勢(社会)の決めた「タイムリミット」である
人は皆「タイムリミット」にも急き立てられている

「選択」「タイムリミット」
この二つの急き立てに追い立てられて
積極的、消極的に限らず、
自分で、選択させられ、決定させられ、規定させられている
これも「自己規定」だ
些細な事柄から重大な事柄まで
ありとあらゆる事柄に対して
「自己規定せよ!」と急き立てられている
自分のペースで決めたいのに
社会のペースで決めるように急き立てられている

ソレに対して「NO!」
と叫んでいるのが
「不登校」
「引きこもり」
「うつ」
「ニート」
などの人達であろう

自分のペースで、自分が納得して「自己規定」したい
なのにいつの間にか
自分以外の誰かのペースと意思で決められている
自己規定したと思い込まされている
このことに気付き
それは嫌だ!
そのように叫んでいる人達だと言える

しかし、だれもその声を聴こうとしない
なぜだろう?
それは
自分も同じ想いを持っていることに気付くのを怖れているからだ
だから
問いかけられる前に、誰よりも早く「自己規定」して駆け抜けようとする
「私はこれで良いんだ。あいつとは違うんだ!」
そう叫んで駆け出す

人は皆
このような「急き立て」と「自己規定」を迫られる中に生きている

「NO!」と叫んでいる人、叫びたいと思っている人たちの声を聴くのが
精神分析であり、インテグレーターなのです
シニフィアン研究所のHPを参照ください。
http://signifiant-lab.com/
摂食障害・リストカットのサイトはこちらです
http://signifiant-lab.com/eatingdisorder/
nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:育児

202)19年清掃続けコロンビア大学を卒業 [生き方]

アメリカの名門大学、コロンビア大学で、19年間構内の清掃員をしながら授業料の免除制度を利用して勉強を続けた男性(ガッツ・フィリーパイさん52歳)が、13日、学士号を取得して卒業し、全米で話題となっています。
旧ユーゴスラビアで生まれ、32歳のとき、戦渦を逃れてアメリカに渡りました。
当時、英語が全く話せなかったフィリーパイさんは、コロンビア大学で清掃員の仕事を得たあと、授業料免除制度を利用して英語を勉強し、午前中は授業に出席、午後は11時まで掃除やゴミ捨ての仕事という生活を19年間続けた結果、このたび古典学の学士号を取得し、13日、卒業しました。
自給22ドルの中から故郷の家族にも仕送りもしているとか。
インタビューの中で「当たり前の事を当たり前にしただけです」と語り、                                           モットーは【幸せはポケットの中ではなく、心の中に】。次は修士号を狙いたいとして、このまま清掃員として大学に残り、勉強を続けるということです。 

NHKでこのようなニュースが紹介されていました。
みなさんはどのように感じますか?
素晴らしい!の一言ですよね。
名前を聞いた時
「ガッツ」さんの名前そのものだと思ったのは、きっと私だけではないでしょうね!


日本に居ると、「内戦」や「紛争」などと聞いても、身近な事だとなかなか思えないのではないでしょうか?
大変な状況であるからこそ、なお一層その意欲が湧いてきたのかもしれないとも思いました。
そして、あの有名なスティーブ・ジョブズの名言を思い出しました。
『Stay Hungry.Stay foolish.(ハングリーであれ、愚か者であれ)』
ハングリーだからこそ、それをエネルゲンとして突き進む。
例えば「なにくそ、負けてたまるか!」
そのようにしてハングリー精神が推進力となって、前進するパワーを生み出すのでしょう。

満たされている時は、欲望も湧きにくいと言えるでしょう。
自分には「不足している」「ない」と思うからこそ、「欲しい」と思う。
これを「欲望」と呼ぶ。
つまり、「ハングリー」の度合いが大きければ大きいほど
その求める欲望は大きくなる。
もし、欲望が持てないなら
もし、欲望が湧かないのなら
自分の中にきっとあるであろう「ハングリー」を探し出せば良いのではないでしょうか?
誰しも、すべてに満足している人はいないでしょうから。

日々の面談の中で、
したいことが見つからない
何をしたいのか分からない
と語るクライアントと共に「ハングリー」な部分を探しています。

シニフィアン研究所のHPも参照ください
http://signifiant-lab.com/摂食障害・リストカットのサイトもあります
http://signifiant-lab.com/eatingdisorder/トラウマのサイトはこちらです
http://signifiant-lab.com/trauma/
nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:ニュース

180)難行苦行が私の生きる道 [生き方]

「人には真似のできないことをすること」
これが自分固有の道だと勘違いしてきた
【難行苦行では誰にも負けない】
そのように語った人がいた
その人がある日
【自分の苦労など大したことはないと思った】と語った
何があったのだろう?

艱難辛苦を望んだのではないけど
その環境しかなかったから
その道を歩いてきた
そのことがいつしか心の中に
【難行苦行が私の生きる道】
という生き様(=言語)を創り上げていたのだった

精神分析と言う語らいの場で
自分の無意識の語らいに気付いたとき
難行苦行の道を、自ら好んで選択してきたことの意味を知った
その時から、その人は自分の生きる道を書き換えた
『難行苦行の道』から『喜びの道』へと
楽しいと思えること、喜びを感じることを選択する
このように書き換えたのだ

それからその人は変わった
楽しいと思えることだけをする
そしたら、
毎日が楽しくなり、
どんな苦難や障害に出合っても、突破できると思えるようになり
事実、乗り越えられるようになった
その先に「喜び」を見出せ、手にすることができた
半世紀を難行苦行の道で生きてきた
気付き、喜びの道と書き換えるのは瞬時
その時から、その人の人生は大きく進路変更した

まず知ることからスタート
そして、必要なら書き換えること
ただそれだけ
それがすべて

シニフィアン研究所のHPはこちらです
http://signifiant-lab.com/
摂食障害・リストカットのサイトhttp://signifiant-lab.com/eatingdisorder/
子育て法のサイトhttp://signifiant-lab.com/raise/もあります
nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:仕事

羨望と嫉妬 [生き方]

誰にでも「羨望と嫉妬」の心はある
「いいなあ」
「うらやましいなあ」
という気持ちが湧いてきたら
それは「羨望」
そして
「悔しい」
「なんでアイツが」
「くそっ!」
「失敗すればいいのに」
「そんなことくらい大した事ない」
「誰にでもできることだ」
なんて気持ちが湧いてきたら
それは「嫉妬」

羨望と嫉妬はどうして湧いてくるのか?

「羨望」は憧れへと続くし、理想像ともなる
子どもがよくする「真似る」がその始まり
そして、
「自分もあの人のようになりたい」
という気持ちを抱かせる
それを「理想自我」と呼ぶ
この憧れる気持ちが大切

それが反転すると
「羨望」が一気に「嫉妬」へと変貌する
反転の契機(きっかけ)は何か?
それは
「自分には無理だ」
と、どこかで感じた時と言える

自分がしたい、なりたいと思っているのに
何らかの形でそれが無理だと感じた時
その相手を破壊したいと思う
それは実現できない理想像が目の前に有り続けることは
「お前には無理だ!」
と突きつけられているかのように感じるから
そして、それは何よりも屈辱であるから
だから
目の前から破壊し排除したくなる

それが「嫉妬」

逆に言えば
「嫉妬」するのは
自分がやりたい、なりたい理想像である
と言える

自分の理想でなければ
目の前に居ても
「凄いね」
「良かったね」
と思っても、それだけのことで
羨望も嫉妬も感じないはずだ

羨望や嫉妬の気持ちを抱くのは
それはあなたの理想像であるからだ

あなたの羨望や嫉妬の対象は何(誰)だろうか?
それを知れば、あなたの理想像が解る
あなたの求めているものが理解できる

自分を知りたい方は
シニフィアン研究所まで http://signifiant-lab.com/
nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:恋愛・結婚

まなざしを集める [生き方]

何かや誰かに視線を向けるのは 
自分が見たいと思ったり、関心が有るから
関心がないものは見ない

そう思っているだろうか?

では
突然大きな音がしたら?
何かが光っていたら?
誰かの視線を感じたら?
誰かの顔に墨が付いていたら?

やっぱり
気になるから、見たいと思うから見る?
確かにそうだろう

逆に、相手から見られていると考えられないだろうか?
何かが光っているのも
あなたが見たいから見ているのではなく
その光に導かれて、そのものに見られている
そのように考えてみたらどうだろう?

見ているはずが、逆に見られている
ほくろや、イボ、あざ、えくぼなども
それがあるがゆえに、その人の特長となり
他の人よりも、視線を集められる

これを利用すれば
他の誰かと差をつけられる
目立つ事ができる
何か目を引くものが一つあれば良い
その一つが「まなざし」を集められる

何か人と違うものを一つ持てばよい
そうすれば
きっと「まなざし」を集められるだろう

あなただけの何か一つを見つけたい方は
シニフィアン研究所へどうぞ http://signifiant-lab.com/

nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:育児

「死」の意義 [生き方]

必ずやってくる「死」
生きていることは、必ず死にゆくもの
人間に限らず、すべてのものに迫り来るもの

それは、終わりでもある
人間や動物では肉体の消滅
終わりがあるとはどういうことか?
一つの区切りがつくことでもある

区切りがつくことの意義とは?
ある一つのまとまりができること
まとまりができると、それが「1」となる
つまり、一つの閉鎖空間となること
それ自体が、一つの閉じたものとなる

どういうこと?

古いものとの別れができること
つまり、次の新たなスタートができること

喜びにも終わりが来るが
悲しみ、苦しみにも終わりが来るということ
生まれることは、死に行くことでもある
死に行くことは、また、新たな始まりでもある

どんなことも終わりがあるから、始めることができる
「死」があるから「生」もある
「生」があるから「死」もある
つまり
「死ねる」から「生きられる」のだ
「死ぬために生きるのではない」かもしれないけれど
「死」があるから「生」を意識できることは確かだ

堂々と、死ぬまで生きましょう!!

シニフィアン研究所はこちら  
http://signifiant-lab.com/
nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:育児

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。